三河地震から80年 地震と戦争
第1章 地震ってなに?
地震は地球の表面をおおっている十数枚のプレートとよばれる固い岩石の層で起こる現象です。プレートはゆっくりと動いており、大きな力が加わっています。その力に耐えられなくなって、プレートがずれたり、大きく動いたりして地震が発生します。
日本列島の周りは4枚のプレートがぶつかり合う場所で、世界的に見ても多くの地震が発生する地域です。日本最古の勅撰歴史書である『日本書紀』にも地震についての記述があるように日本は古くから地震に襲われ、その度に復興してきました
第2章 西尾市域の地震
西尾市の地形は主に、美濃三河高原とよばれる山地、碧海台地とよばれる小高い台地、西三河低地の3つに分けることができます。
西三河低地は、美濃三河高原と碧海台地の間に広く分布している低地で、川や海の働きによって形成されました。主に固まっていない泥や砂、石などで形成されたやわらかい地盤で、地震に弱い傾向があります。
第2章では、西尾市域で過去発生した地震について紹介します。
第3章 地震と戦争
昭和20年1月13日午前3時38分、三河地震が発生しました。
三河湾を震源とするこの地震は、西尾市や安城市、碧南市、蒲郡市などの狭い範囲に大きな被害をもたらしました。
西尾市域の被害は特に大きく、西尾市域だけで1,209人が亡くなっています。
被害が大きくなった原因として、約1ヵ月前に発生した東南海地震の影響が挙げられます。東南海地震によって傾いたり、ゆがんだりした多くの家屋が、三河地震のゆれによって完全に倒れてしまったのです。
また、三河地震は自然の要因だけでなく、戦争による影響も大きく受けた地震です。
第3章では、報道管制・学童疎開・物資不足の3つの視点から、三河地震と戦争の関係を紹介します。
第4章 地震と継承
報道管制によって広く知らず「隠された地震」ともよばれる三河地震ですが、西尾市では三河地震の犠牲となった方の法要や、三河地震を周知するための活動が行われています。
第4章では、安喜福会をはじめ、市内での三河地震を伝えるための活動を紹介します。