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第1章 鋳物ってなに?

高温で溶かした金属を型に流しこんで冷やし固める方法を「鋳造」といい、鋳造でつくられた製品を「鋳物」と呼びます。鋳物の歴史は古く、紀元前4,000~3,000年ごろにメソポタミアで生まれました。日本には弥生時代に伝わると、時代に合わせて、梵鐘などの仏具、茶の湯に使う釜、鍬や鋤といった農耕具など、さまざまなものが鋳造でつくられるようになりました。
本章では、鋳造の仕組みや鋳物の歴史について紹介します。

第2章 水運の要所 平坂湊

西尾の鋳物業の拠点となった平坂には平坂湊があり、矢作川と三河湾を結ぶ重要な役割を担っていました。鋳物づくりは大量の資材を必要としたため、平坂の鋳物師たちは、原材料の輸送や製品の搬出に平坂湊を利用していました。本章では、西尾の鋳物産業の発展の下地となった平坂湊の変遷や、水運について紹介します。


現在の平坂周辺の地形
(『川船の路 改訂第五版 矢作川の川船記録』を元に作成)
濃い部分が江戸時代初期の地形。
平坂周辺の地形が大きく変化していることが分かります。

第3章 西尾の鋳物のはじまり

西尾の鋳物業の起源は諸説ありますが、寛文11年(1671)に近江国辻村(滋賀県栗東市)で鋳物業を営んでいた太田庄兵衛が平坂に移住し、鋳物業を開業したことがはじまりとされています。太田家は西三河を中心に多くの梵鐘を作製し、時代が下ると鍋釜などの日用品も取り扱うようになります。
本章では、太田家が中心となって発展した近世の西尾の鋳物産業を紹介します。


太田家が江戸時代に製作した西尾市域の梵鐘

第4章 近代化する西尾の鋳物

明治時代になると、太田家は鋳物業を廃業してしまいます。しかし、職工長であった奥田広吉をはじめとした鋳物師たちがそれぞれ独立し、太田家の鋳造技術は平坂の地に受け継がれていきました。
本章では現在の西尾の鋳物業へと形作られていった近代の鋳物産業を紹介します。

第5章 現在の鋳物産業

かつて身近な存在だった鋳物は、生活様式の変化から、現在では使う機会は少なくなりました。しかし、今もあらゆる産業に利用されており、多くの産業の基盤となっていることから、鋳物は「産業の米」とも呼ばれています。
また、西尾市鋳物工業協同組合は人材育成や、西尾の鋳物を知ってもらうためのさまざまな活動を行っています。
本章では、現在の西尾の鋳物産業と、西尾市鋳物工業協同組合が取り組んでいる活動を紹介します。

関連イベント

■展示解説
日時/2026年1月17日(土)午後2時30分~
場所/一色学びの館 多目的室
申込/不要

■歴史散策 平坂を歩こう
解説とともに平坂を歩きながら、地形の特色を探ったり、平坂鋳物師・太田家の足跡を辿ります。
日時/2026年1月24日(土)午後1時30分~
集合/西尾勤労会館駐車場(西尾市平坂町山崎9-1)
定員/15人(申込先着)
対象/中学生以上
案内/水谷寛明氏(郷土史家)、利光正恵(当館学芸員)
申込/12/13(土)より一色学びの館に直接もしくは電話にて受付。


お電話でのお問い合せはこちら(9:00〜21:00)

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