こぼればなし

EPISODE

学びの館の常設展示「にしおをつくってきた風土」ゾーンでは西尾市内の名所や史跡、祭りを地図やサイネージで紹介しています。
今回は数多くある名所や史跡の一部をご紹介します。

目次

西尾城

西尾城は、承久3年(1221)に足利義氏が築城した「西条城」が始まりだと伝えられています。義氏の子孫(のちの吉良氏)がこの地を統治しますが、戦国時代になると城主は入れ替わり、江戸時代には譜代大名が城主を務めました。明和元年(1764)に大給松平氏が入城したことで西尾藩の石高は6万石となりますが、明治維新を迎えると城のほとんどが取り壊されました。
現在は、西尾市歴史公園として整備され、西尾城の一部が復元されたほか、旧近衛邸や尚古荘、西尾市資料館などさまざまな施設が建てられ、西尾の歴史文化の発信地となっています。


本丸丑寅櫓

西尾市資料館

幡頭神社

三河湾を望む岬の先端に鎮座している神社で、宮崎という地名の由来にもなった由緒ある神社です。大宝2年(702)の創建と伝えられ、平安時代初期に編集された『延喜式』にも記載があります。
祭神は建稲種命たけいなだねのみことで、日本武尊やまとたけるのみことの東征に従った建稲種命が駿河沖で遭難し、宮崎海岸に流れ着いた遺骸を当地で祀ったことが始まりとされています。
天正8年(1580)に立てられた本殿は国指定重要文化財に指定されており、桃山時代の様式を伝えています。


トンボロ干潟

東幡豆海岸には、干潮時になると完全に潮が引き、陸地から2㎞ほど離れた無人島の前島に歩いて渡ることができるトンボロ干潟があります。
トンボロ干潟には多くの生き物がすんでおり、三河湾有数の潮干狩り場でもあります。そのため毎年3月~8月になると多くの潮干狩り客でにぎわいます。

トンボロ現象とは…
普段は海によって隔てられている陸地と島が干潮時に干上がった海底でつながる現象のこと。



佐久島

三河湾のほぼ真ん中に位置する佐久島は、豊かな自然と昔ながらの懐かしい集落の風景が見られます。特に潮風から家屋を守るために黒く塗られた西集落の壁は島固有の景観と評価され、「三河湾の黒真珠」と呼ばれています。
また、佐久島は1996年からアートによる島おこしに取り組んでいて、西集落の黒壁をモチーフにつくられた「おひるねハウス」をはじめ、島内のさまざまな場所に作品があり、アート作品をたどって島を巡ることができます。


黒壁の西集落

おひるねハウス

西尾のてんてこ祭

毎年1月3日に行われる五穀豊穣を祈念する農業祭で、県の無形民俗文化財に指定されています。
平安時代に清和天皇の大嘗会だいじょうえ悠紀斎田ゆきさいでんにこの地が選ばれたことにちなんで始まった祭りと伝えられています。赤い装束に身を包んだ6人が神社に向けて行列し、うち3人は男性のシンボルをかたどった大根を下げ、「てんてこ、てんてこ」という太鼓の囃子にあわせて腰を振りながら町内を練り歩きます。神社の境内に入ると、竹箒で藁灰を撒き、この灰をかぶると厄除けになるといわれています。


金蓮寺弥陀堂

県内最古の木造建築物で、県内に3つある国宝の建造物のうちの1つです。
弥陀堂は文治2年(1186)に源頼朝が、三河国の守護であった安達盛長に命じて建てさせた三河七御堂の1つと伝えられています。平安時代に多く建立された阿弥陀堂の特徴を持っていますが、邸宅風の意匠も見られることから、鎌倉時代中期に建てられたものだと考えられています。
ヒノキの皮でふいた緩やかな曲線を描く屋根が特徴で、内部に安置されている阿弥陀三尊像は県指定文化財です。


金蓮寺弥陀堂

木造阿弥陀如来及び両脇侍像

吉良上野介義央

「元禄事件」で有名な吉良上野介義央きらこうずけのすけよしひさは現在の西尾市吉良町に大部分の領地を持っていました。地元では名君として知られており、市内には吉良家ゆかりの地が多く残っています。


黄金堤

義央が築かせたと伝えられる堤防で、現在は桜の名所としても知られています。江戸時代、この辺りの村は大水のたびに被害に苦しんでいました。そこで、領主であった義央が水害から領地を守るため、領民とともに長さ約180m、高さ約4mの堤防を一夜で築いたという伝承が残っています。








華蔵寺

華蔵寺は慶長5年(1600)、義央の曽祖父である吉良義定が吉良家を再興した際に、父・義安の菩提を弔うために建てた高家吉良家の菩提寺です。御影堂には県指定文化財の吉良上野介義央木像のほか、義安像・義定像が祀られています。木像は義央50歳の姿を刻んだもので自ら彩色を施したと伝えられています。



西尾市岩瀬文庫

西尾市岩瀬文庫は明治41年(1908)に西尾市須田町の実業家である岩瀬弥助が、本を通した社会貢献を志して創設した私立図書館として誕生したのが始まりです。戦後に西尾市の施設となり、平成15年(2003)4月に日本初の「古書の博物館」としてリニューアル、平成20年(2008)には創立100周年を迎えました。
重要文化財を含む古典籍から近代の実用書まで、幅広い分野と時代の蔵書8万冊あまりを保存・公開し、日本の本の長い歴史やゆたかな文化について体験しながら学べるユニークな展示を行っています。

西尾市岩瀬文庫 ホームページ


長圓寺

長圓寺ちょうえんじは、江戸時代初めに初代京都所司代として活躍した板倉勝重とその一族の菩提寺として、寛永7年(1630)に創建されました。
万灯山の麓に建っており、境内全体が史跡に指定されているほか、勝重の霊廟である肖影堂(県指定文化財)、板倉家代々の墓所や山門、本阿弥光悦筆手水鉢、石川丈山筆扁額などの文化財を見ることができます。
また、万灯山では毎年8月14日に「かぎ万灯」とよばれる火祭りが行われ、このお祭りは市指定無形民俗文化財に指定されています。


長圓寺山門

長圓寺肖影堂

赤羽別院親宣寺

当寺の由緒によると、この地はかつて如上人開基の道場跡で、江戸時代の岡崎出身の御家人・本目親宜が霊場の再興と先祖の菩提寺として元禄14年(1701)に建てたと伝えられています。
寛政10年(1798)には東本願寺の別院となり、寺の名前も赤羽別院親宣寺となりました。
かつては三河随一の巨大な本堂や講堂、対面所など20余の建物がありましたが、三河地震と伊勢湾台風によって倒壊してしまい、山門だけが残されてしまいました。そして平成7年(1995)本堂と書院が新築され、現在の姿になりました。
また中世時代、この地には赤羽根城という城館が建っており、平安時代末期には鷲尾遠衡、後の時代には一色氏や高橋氏が城主となりました。


赤羽別院親宣寺山門

現在の赤羽別院親宣寺本堂